悲しんでいる人がいるのと同時に、笑っている人がいることの不思議。みんながみんな感情を共有しているわけではないのだから当たり前のことだけれど。すごく違和感を感じる。
この前、お葬式に行ったときのこと。当事者たちが悲しみに暮れているのを見た。式の直後、会場を出た参列者たちが談笑しているのを見た。激しい違和感を覚え、吐き気がした。
遺族の悲しみを、参列者が同じように感じるなんて不可能である。でも、それでも、この違和感は消えなくて。その日は眠れなくて朝まで幾度か吐いた。最後は嘔吐するものもなくなって、胃液しか出なかった。
翌日、テレビを見てわたしは笑った。それに気付いてまた違和感を覚える。違和感というよりは、罪悪感。今こうしてわたしがくだらないテレビ番組を見て笑っている間に、昨日の遺族は何を思っているのだろうか。果たしてわたしは本当におかしくて笑っているのか。笑うってなんだ、泣くって、悲しむって、なに。
わたしが悲しんでいるときも、わたし以外の人は笑っている。悲しんでいるわたしだって、笑う。悲しみを、いつまで悲しめばいい。悲しみの賞味期限は、いつ。