a).
昨日、駅から家へ向かう途中に、正面から歩いてきた女のひとに、いきなり平手打ちをされた。携帯触りながら、下向いて歩いてたから一瞬何がおこったのか全然わかんなかったけど、頬の痛みとともに眼に涙が滲んだ。おんなのひとはわたしと一瞬眼が合うと、走り去ってしまった。
はやく家に帰りたくてしょうがなくて、家まで走ったのだけれど、体力ないし、走るの遅いし、途中で何回かこけそうになって、マンションまであと20メートルって所辺りで派手にこけた。おでこ切れたよ。頭から血を流した状態で部屋にたどり着くと小菅はまだ寝てた。自分でもよくわかんないけど「たすけてたすけて」言いながら小菅にしがみついて泣いた。そっからあんまり覚えてないのだけれど、小菅いわく「とうとう死ぬのかと思った」って。いっそのこと、とうとう死にたかったよ。

b).
“死にたい”と言っている人が全員、本当に死んだら、すごく素敵な世界になると思う。
「死にたい」って言ったときに「そんなこと言っちゃ駄目だ」とか「死んで何になるんだよ」「生きろよ」って言ってくれる人がいるというのは結構あたりまえなことだとおもう。だって眼の前で人に死なれちゃ後味わるいもん。だから「そっかーいつ死ぬん?」みたいに素で返してきてくれる人は結構貴重だ。まして「え、一人で死ねる?殺そうか?」という気遣いをしてくれる人は重宝すべき存在だと思う。でも「死にたい」って言ってる人は本当に死にたいなんて思ってないからそーゆう風に“殺そうか?”なんて返されると返事に詰まる。だって大抵は“生きろ”って言葉を欲して言ってんじゃん。慰めてほしーんだよ。あと大抵は“殺そうか?”と言う人にだって大して殺す意思はないのだから期待してはいけない。要は「死にたい」という言葉はある種ゲームだわな。
a).で“とうとう死にたかったよ”と言っているのは、「どうして小菅は殺してくれなかったのだろう」と小菅を痛烈に皮肉ってるつもりであるのだけれど、わたしだって例外なく慰めを求めているのかもしれないなーと考えたら吐き気がする。結局自ら素敵な世界を放棄してるってことじゃんね。素敵な世界にしたかったらまずわたしから死んでみろ、って話だ。でもチキンなので今まで1度だって死ねなかった。だから今こうして呼吸とかしちゃってるわけだけれど。あと心臓も動かしちゃったりね。わーい、人間っぽーい!

c).
博子が死んで真っ先にしたこと:自分の定義で自分より劣っていると勝手に判断した人たちと精力的に交友関係を築いたこと。
あんま大きい声で言いたくない話だけれど、わたしは結構人を見下したりしているとおもう。自分がすげー下等で蛆虫だってことも分かっているけど、てゆっか蛆虫に例えるのさえも蛆虫に失礼だって分かってんだけど、それでも下を見れば自分より劣ってる人間なんていっぱいいるじゃん、とか、そんな、厚かましいというか、人間として真面目に終わっちゃってるようなことも結構思ってたりもする。
中学の時の友達と馬鹿やってると結構楽しいと思うのはなぜだろうと自問すると、そんなのあいつらが馬鹿だからに決まってるじゃん☆と自答する自分がいる。ほんと終わってんな。
結構つらいんだよ、なんか、さいきん。

d).
生を恐れるのも死を恐れるのも結構同義だと思う。とにかく何か不安なんだな、だれか払拭して。
わたしの人生に対する疑問とかは、誰も答えを出さなくていーよ。全部自問して、自答して、自己完結するから。あなたが何も言わなくても、勝手にわたしあなたのこと見てるし。見て、それで自分で答えにするから。とゆーことはつまり人の意見は参考になるんだな。ただ答えを押し付けられるのが嫌いなだけで。自分ひとりじゃ生きていけないし。でも人という字は人と人とが支えあって、なんて通用するのは小学校低学年までだとおもう。うーん、ままならない。そーやってままならないとか言って全部自分じゃない何かのせいにしてさ、そーゆーのもいい加減飽きてきたね。

e).
中間テストというものが昨日から始まった。今回わたしは受験生であることを忘れて、高校入って何回か挑戦したけど全て敗北に終わった全教科満点という目標に再び挑戦しようと思っている。のだけれど、昨日の現国のテストで余計な一文まで書いてしまったから減点されてるかも。あーあーあー。

f).
さいきん結構本気で宇宙になりたいと思っている。はたまた王水夜神月風に言ってしまうと、「僕は新世界の神になる」