自分は他人と深く関わりを持つのが苦手なのだと思うのだけれど、今のところ小菅とだけは比較的良好な関係を築いている(と思う)。なぜならば小菅は他人ではなくわたし自身の中身を具現化したものだからだ。他人とは共有しえないと思っていた感情に誰よりも共感を示してくる。わたしの言葉にならない感情に名前を与えるのだ。たまに小菅を殺したくなるときは、大抵自分自身をコロシタイ衝動に駆られている。そして小菅だってわたしを殺したくてたまらないはずだ。痛々しい程に綺麗で触れることも出来ない。