なんなんだろうね、生きづらくて息づらい世の中だよ、まったく。酸素がないんだもん。
わたしが泣くときの理由の大半に「博子」という単語を使うのは、これ以上辛いこと増やしたくないから。馬鹿だから。これも多分目の前の出来事から逃げてることになるんだろうな。全部全部博子のせいにしてるんだ、わたしは。だからこの先どんなことが起こっても、博子の死以上に悲しいことはわたしには起こらない。起こらないってゆうか、受け入れない。だから中2のあの時より心が成長することはない。馬鹿だから。まさに今でも「博子」と言えば全てが円滑に進み丸く収まるとおもっている。