苦しくて苦しくて、わたしの汗とか涙とかシャワーとか、それでいて繋がった部分から溢れてくるいやらしい、いやらしい、なにか。ひどく滑稽なわたしと、そんなわたしを無表情で揺らし続ける青年。何故涙が出てくるのかわからない、なんて嘘だ。こんなにも美しい青年を死なしめようとしていた自分が今まで以上に滑稽で、惨めに思えてならなかったと同時に、その美しさに惹かれ嫉妬さえもしたのだ。故意でないからといえ、許されることではなかったのだ。触れてはいけない光に恋をした人間は、焦がれて死ぬのが常だ。
青年にとっての生への執着を確信することは、死への執着を一層増すであろうことに気付かなかったわたしはたいそう愚かでどうしようもない馬鹿女だ。
わたしは今や義務感や、そういった不純な動機で小菅に生きて欲しいと願っているわけではないのだ。あまりにも美しい、まるで芸術品であるかのような青年の人生を、1番近くで見ていたい。あーでもこれだってひとりよがりなわたしの望みであるのだから、不純には変わりないのかもしれない。でもこの際不純でもなんでもいいの。生きてくれてさえいれば!
わたしのことを美しいと言った三滝や学ちゃんのことが頭に浮かんだ。あの時は「こいつ頭沸いてんじゃねえの」としか思えなかった。今はわたしの頭が沸いてるのかもしれないな。
“生きる”小菅仁を見るわたしは、見るために生きるわけだからわたしもあいつが生きる限りは生きていくことになるのね。日本語がおかしくていまいち理解できないかもしれないけれども、つまりはまたわたしは人に生かさせてもらっているのだ。成長がないと言われればそれまでだけれども、どこまで行ってもわたしは1人では光ることが出来ないのだから。
「お前は、欲張りだな。いくつ太陽を側におけば気が済むんだ?」
いくつあっても足りない。1人居ればそれで十分だなんてことはゆえない。今まで亡くしてきた数のほうが遥かに多いのだから、少しくらい欲張らせてくれたって。