大衆のこころは動かせても、特定の個人のこころを動かすことはとても難しい。“大衆としてのあの人”と“あの人”とではまったくの別物だし。


わたしは考え込んで悲しくなることがよくある。わたし以外の人からすればどうでもいいと思えることが、わたしには悲しい。ひとりで考えて考えて眠れないときも、何度も嘔吐するときもある。でもそれはわたしが特別であるからとか、人より弱いから、精神的痛がりさんだから、といった理由ではなくて、ただ単にわたしが“特定の個人”だから。そこかしこにいる、“特定の個人”だから。“わたし”は“大衆”じゃなくて、“特定の個人”。