どうもお久しぶりです。最近めっきり寒くなってきました。
「はたちになってから初めて日記書きます。」
というフレーズを何度打っては放棄しただろうか。思うように言いたいことがまとまらずにいつも途中でやめてしまう。今回も途中で放棄してしまうかもしれないけれど、それでも言う。
はたちになってから初めて日記書きます。
そうです、わたしはたちになりました。正直ほんとに11日の内に死ぬんじゃねえの?と思ってたけど何事もなくお誕生日を迎えましたし、そこから更に2か月が経ちました。
誕生日前夜の日記にコメントをくださった皆様、ありがとうございました。
いま、わたしはまあ可もなく不可もなくといった感じで毎日を過ごしている。
ひとつ変わったことといえば、三滝と共に生活をしているということ。
誕生日に知人から誕生日プレゼントと称して小説が添付されたメールをもらった。それを読んで人生を見つめ直し、今度こそ大切なものを大切にしたいと思った。これを逃すとわたしには本当に何も残らないであろうことを察知したから。
わたしは今まで自分を不幸へと不幸へと追いやって生きてきた。不幸というぬるま湯に浸って、自己愛に溺れていることはとても心地よかったから。でも不幸は永遠に続く訳がなく、そのぬるま湯では生きていけないということを小菅に教えられた。ちゃんと自分の足で立たなければならない日が来ると。
(そういえば、あまりにも自分の中で整理がつかないままでいたので書いていなかったけれど、小菅はわたしとの不幸ごっこから卒業して、わたしの元から去ってしまった。今はどこで何をしているのかも分からないけれど、とにかく彼はしっかり自分の足で立っていることだろう。)
不幸(小菅)を失ってしばらく経って、耳の調子がおかしくなってきたという事をここぞとばかりに新しい不幸として迎え入れようとしていたけれど、もうやめた。きっと小菅はそんなことくだらないと笑い飛ばすだろうし、彼の耳がおかしくなったときだって、彼は笑っていたから。
ちゃんと大切なものを大切にしよう。大切なものを大切だと言える意思を持とう。わたしにとってはきっといちばん難しくて重要なこと。
大切なものを思い浮かべたときに、三滝の顔が思い浮かんだ。今更三滝だなんて、今までわたしの日記を読んでいた人は納得がいかないと思う人が多いかもしれない。散々振り回したり、邪険にしたりと、自分の欲求に素直に生きた結果、三滝をたくさん傷つけた。三滝以外の人だって、たくさん傷つけた。本当に、今更都合のいい話だけれど、やっぱりそれでもわたしを大切な女の子として、大切にしてくれた三滝のことが、大切だとおもう。
三滝と会って長い長い話をした。わたしのことを受け入れてくれた三滝のことを、やっぱり大切だとおもう。
いままで20年生きてきて、たくさんのことがあったけど、わたしを語る上ではなくてはならないものばかりだ。きっとこれからもたくさんのことがあるだろうけれど、わたしは自分の大切なものを大切にして生きていこう。
長かったですが、これでわたしの少女期はおわりです。
今までお付き合いいただき、ありがとうございました。
さいごに、今まではたち最初の日記の投稿を躊躇っていたのは、わたしは自分がはたちになったということを公表したくなかったのかもしれない。その意図は自分でもよく分からないのであなた自身で汲み取ってください。