もはやお久しぶり、どころではない。それでもお久しぶり、と言う。この前は大学合格の日記にコメントをいただき、ありがとうございました。ああ、まだ読んでくれている人がいたのだなあ、と、とても心が痛かったです。あれからまた3ヶ月経ちました。いまだに見てくれている人なんていないかもしれない、いるかもしれない、でももうやっぱりいないんだろうなあーと思いながら。それでも、お久しぶり、と言う。

合格発表以降のこと。入学手続きには、いきませんでした。つまり、わたし、大学生じゃありません。どうしても1年間頑張れていた気がしなかったので、そんな自分が気に入らず、やめました。わたしは大学に合格したかったんじゃなくて、がんばった達成感がほしかったのだとおもう。その後すぐに東京で生活することを決め、ひとりでろくに荷物も持たず、東京に行きました。長基くんに会った。彼はもう音楽なんかやっていなくて、ホストになっていた。彼は音楽をしているときより生き生きしていたので、よかった(と思う)。お金が底をついて、1ヵ月足らずでまた帰ってきた。三滝が迎えにきた。そのあとは清直に会いにロンドンに行った。2週間ほど清直のところに滞在した。食事があわず何も食べられず、ストレスも溜まって体調を崩した。ばれると日本に追い返されると思ったから清直の前では極力元気に振る舞った。でもやっぱりばれてすぐに追い返された。帰国したとき体重は36きろだった。帰国後は常盤さんに病院へぶち込まれて、3週間ほど入院していた。どこがわるかったんだろう。わからない。退院するころ、体重は39きろまで戻っていた。退院後、毎日ぷらぷらして、ここ数年の中で1番平穏な毎日。わたしの周りから、愛すべき馬鹿な男たちは一人残らずいなくなってしまったけれど。たぶんこれがいちばんいいことなのだとおもう。今更博子のことなんか、言いたくないけど、博子の死があって、わたし人に依存し過ぎていた。傍らには常にだれか自分を見てくれている人がいないと不安でしかたなかったから、ちょっとでも優しくされるとすぐに自分のものにした。誰でもよかったわけじゃないけれど、わたしは自分を見てくれる人なら、けっこうだれでもよかった。ああ、さいてい。わたしは誰にも愛されない、だってわたしが誰のことも愛していないから。今までのはぜんぶ空想で、わたしは何も形に残すことはできてなかったんだなあ。わらってしまうね。わらっておくれよ。