死につくその瞬間までわたし。
世界中のあらゆる物事から逃れようとも、ただひとつ、自分からは逃れることはできない。
後ろ振り向けばいつも、影がつきまとっている。鬱陶しくって仕方がない。

わたしの世界で1番愛する人間が、聞こえない左耳でわたしの声を聞くのは、奇妙だけれど至極当然の話。

2ヶ月、長いようで短いようで長かったです。いろいろありましたですよ。
みなさんのほんの一瞬をわたしは何倍も何倍も生きていました。だってもうカウントダウンは始まってんだ。誰にも止めらんない。
どこのだれとも分らないわたしの半分を形成している男の精子がわたしの死した母親の卵子に入り込み、わたしという生命がこの世に奇跡的な確率でできた瞬間から、わたしが死ぬことは決定的に明らかになった。
あんただって、しぬのよ?それは明日かもしれない。
わたしは、25歳って決めているから。例え明日わたしが乗った電車が脱線事故を起こそうとも、拳銃で心臓を射抜かれようとも、わたしは死ねないの。くだらないこの病気だって、わたしを25歳までは殺すことはできないわ。

泣いている小さな男の子を見つけたので、飴を与えて、一緒に母親を探した。探している途中に涙が出てきた。その場にしゃがみ込んで泣いていると、男の子は消えていた。かわりに小菅が現われて、わたしの腕を掴んで強引に立ちあがらせ、わたしの頬をぶった。驚いて声が出なかった。しばらくの間声が出なかった。5日間くらい、声が出なかった。
1ヵ月ぶりに見た小菅は相変わらず美しい青年だった。小菅のあの眼を見るといつも自分がいかに汚いのかが明白にわかって、なんてゆうかさあ。
本当に、どうしようもないんだよ。世界は終わらないけれど、終わればすごく美しくなる。でも、さあ、知ってた?見ようとしないだけで、見えていないだけで、世界は素晴らしく美しい。わたしはまだ世界の美しさに気づいていないけれど(気付かないふりをしているけれど)、気づいてしまうと世界の美しさに嫉妬して、狂ってしまうよ。
今こうしてどうしようもなく馬鹿で救いようがない、脳足らず、な、人間(ときどきわたし)がいるという時点ですごくすごく残念。
世界を動かせるほど美しい人間になりたかった。
眼のないリリー最後の更新で小菅も京都に住んでいると書きました。ご近所物語だと。しかしそれはわたしの夢物語であったようで、今どこを探しても小菅の姿は見当たりません。
彼はいまどこでなにをおもっているのでしょうか。
最後の電話での「おれ、ほんとに侑衣のことは、嫌いじゃないんだ」というか細い言葉。そんな言葉は聞きたくなかった。わたしが欲するのはそんなものじゃない。いつもみたいに嫌いだ死ねと罵って、馬乗りになって殴って、わたしに存在意義を与えてよ。
わたしは小菅を欲するあまり、幻覚をたびたび見ます。ただの夢なのだろうが。かわいそうなおんなのこ。

わたしは京都にきて、人間関係をぜんぶいちから築きなおそうと、そう思っていたのだけれど。わたしはほんとうにやさしい人たちに囲まれて生活をしているらしい。
優巴がいて、九平も京都に来ているし、ニノだって、いる。ほんとうに周りの人間に甘やかされていて、どうしようもない。受験勉強なんてまったくしていない。5月1日にギターをぶっ壊してからも、勉強なんてしていない。負けたら受験勉強に専念すると自分と約束していたのに。わたしはほんとうに意志が弱い。
来年の今頃、わたしは一体何をしているのだろうね。本来なら来年の今頃は死んでいてもおかしくないんだよ。でも25歳までは、がんばってみるね。(がんばらなくても生きていくことなんて簡単にできるのだが。)意志薄弱なわたしのいうことなので、明日には死んでいてもおかしくないのだけれど。

水になりたいとか、そーゆうことは、あんまり言っちゃいけないのかもしれないね、18歳として。この前わらわれたもんよー。
1ヵ月前、清直からパソコンに結構な長文メールが届いたんだ。だから1週間前に返事として「わたしはどうしても水になりたいのだけれど、どーすればなれるとおもう?」とだけ送った。それに対する返事はまだきていないんだ。彼ならきっと今頃本気で水になれる方法を探してくれているのだと思う。素敵な人だから。わたしは水になれないのなら清直になりたいよ。絶対言わないけどね。