この4日間あてもなく彷徨って、結局自分の居場所なんてないんだ、ってことを思い知らされた気がした。いつも馬鹿みたいにヘラヘラ笑うあいつの隣でわたしはぬくぬくと生きていたから。習慣って怖いなあ、たかが1年半それが続いただけで、15年半も続けた自分の生き方を忘れかけてた。今のわたしからあいつを抜き取ったら性欲しか残らなくなるだろう。喜びとか、悲しみとか、怒りとか、あれがしたいとか、これはしたくないとか。嫉妬とかもなくなって、ただただ毎日馬鹿男たちに抱かれる為だけに存在する、セックスマシーンみたいな馬鹿女。だけど本来わたしはそういう女で、あいつに出会ったことで何かが違えて、今みたいに泣いたり笑ったり、まるで人間みたいなことをすることに慣れてしまっただけなのだ。今の自分は嫌いじゃない。昔の自分は好きじゃなかった。
人間は1人じゃ生きられない、人という字は人と人が支え合って、なんて。くだらない、ばかばかしい。結局人間はいつだって1人ぽっちじゃないか。馴れ合い、助け合い、そんなものは幻想に過ぎないのだ。わたしにそれを教えてくれたのはいつだって非情な現実であり人間だった。それなのに、さあ。今更何なんだ。わたしにあんなもの与えて。情けでもかけてるのか、ふざけんな。わたしはこれからも1人で生きていきたい。わたしのしょうもない人生に人を巻き込んじゃいけない。いくらあいつが巻き込まれてもいいって思ってくれてても、だめなのだ。なんて、表面上あいつを思っているようなことはいくらだって言える。もしかしたらわたしがもうあいつとの馴れ合いにだれて、やってらんねえ、これ以上付き合ってられっか、友情ごっこはもうこりごりだ。なんて思っているかもしれないわけだし。わたしが何を考えてどう行動しているかなんてわたしにしか分からないでしょう?言葉や文字ではいくらでも嘘がつける。当の本人でさえ自分をよく分かっていないのに、他人に分かられてたまるかってんだ。だからわたしのこと知ったかぶって、わたしという人間を語るのはやめてくれないかしら?わたしが嫌いなことの1つは自分のことを知った風に他人に言い聞かすかのように語られること。だからみんな死んだ。
わたしも死んだ。心が死んだ。14の冬。ああそういえばもうすぐ博子の命日なんだね。その日が近づくにつれて早くなる鼓動。ドキドキなんて、そんな甘ったるい響きじゃない。死が近づいてくる、そんな恐怖。可愛いあの子が手招きしてる、ハヤクコッチキナヨ、ワタシタチハイツダッテイッショデショウ?と。沫のように儚い人の命。そんな表記は間違っている。人はそう簡単には死なないし死ねないから儚くなんかない。まして尊くなんてない。人が死ぬのは大人になるその瞬間。
まあ、さあ。長々と書きましたがね、何が言いたいかってーと、わたしはもうあいつの中に存在しちゃいけないてわけなのですよ、これが96時間ろくに寝もせずに考えた結論だから誰も文句言わないでね。偉そうに説教されるのはもううんざりだ。わたしのほうがあなたより人生というものをよく理解しているわ、なんて。わたしは高校卒業とともにあいつの前から消えて見せましょう。それ以上一緒に居たってお互い傷つくし傷つけあうだけ、なんて。これも上辺だけのお約束的な言葉なのかもしれないよ?
人間はそう簡単には変われやしないんだから。わたしはいつまで経ってもわたしのままなのだ。どの角度から見たって空は空で変わらないように、わたしもどの角度から見てもわたしだから。同じなのに。空は美しいけどわたしはちっとも美しくない。醜い。