もしも死んだら

わたしが死んだら。三滝くんはどうなるのだろう。そのことを考えて泣いた。癇癪を起したのではなく、悲しくなったので泣いた。三滝くんが帰って来て、泣いているわたしの横に座って、いつものように泣きやむまで側にいてくれる、のだけれど、わたしがいつもより泣きやまないので、「どうして泣いているの」と聞いた。わたしは余計に泣いた。泣いていると何も考えなくてすむので、わたしはよく泣く。泣いていると疲れて眠ってしまうので、泣くということはとても都合がよい。わたしは、死にたくないと思った。三滝くんを残して、死にたくない。だから悲しくなった。きっとこれが、わたしにとって三滝くんを心から大切に思って、三滝くんを愛しているということなのだと思う。
何故、学生のうちに、はやくに結婚したのかと聞かれる。まだ若いのに、どうして、と。三滝くんは笑って答える、「侑衣さんが、悲しいときもひとりぽっちだと思わず生きれるようにね」と。わたしのかわいい、愛しい人。いつもありがとう。ああ、しぬのがこわい。

さいきんポケモンばっかりやっているよ。Yのほうだよ。6Vケロマツがほしいほしいほしいーーったらほしいーーーーーー夢ケロマツほしいーーーー色ケロマツほしいーーーーーーケロマツウウウウウ。
不思議なことに、ほとんど家から出ていないのにお金は減ってゆく。なんで。それは収入がほとんどないから。いぇあ。
屑は屑らしく、おかねがないよーーうわあーん!ってゆってお父さんにたかるんだ。ひひっ。涙でそう、だっせぇ。

言い訳みたいになるけれど、前回の日記を書いた時はひどく泥酔していたのだとおもう。何となく覚えているのが、やみつき塩だれキャベツのことをやみつき塩だれレタスと書いてしまって、投稿した後にやっべーちげーしレタスじゃねーしキャベツだしとか言いながら修正した、気がする。どうでもいいけれど。泥酔しててもしてなくても、ここの日記はわたしの公開オナニーであることに変わりはないのだから。
前回の日記を書いた時は、何がそんなにふこうだったのだろう。わたしはふこうでいることに依存しているから、特に理由もなくふこうに入り浸る。麻薬みたい。ばかみたい。いろんなことを考えて、勝手にしんどくなる。考えなくっていいんだよって言う人は、きらい。じぶんのことをべたべたに甘やかしてくれる人はだいすきだけれど、考えなくていいって言われるのは悲しくなる。三滝くんは、考えて勝手に悲しくなるわたしを、黙って見ている。わたしがどうしよもなくなって癇癪を起したときは、泣きやむまで隣にいてくれるから、それがうれしくって、また、意味のないことを繰り返してしまう。意味がないって分かってるふりしてるけど、ほんとうはそうは思ってないから繰り返すのだけれども。



お父さんがまた再婚する。4回目だよ、おとうさーん。

おとうさんの4回目の結婚に娘としてはドン引きなのだけれど(だって4回目な上に今回の奥様は17歳も年下なんだもの!)、おとうさんがしあわせであればいいなとおもうよーーう。しあわせって人それぞれなので、どういう形がおとうさんにとってしあわせなのか分かんないけど。
しあわせって、とってもこわいものだから。認めてしまうのも、感じてしまうのも。おとうさんは、たたかっているのかも。しあわせと。

おとうさんがしあわせであれば、って安易に言っちゃったけど、しあわせってことばは安易に使っちゃいけないよなあ。